マンションで一人暮らされている会員のY様は、お体は比較的お元気で買い物や病院等への通院などもおひとりで対応されていました。ただ、聴力が弱く、電話や玄関のチャイムが聞こえず、定期的な訪問や連絡の際にすれ違ってしまうことや電話でのやり取りが難しいことも多く、見守りなどに不安を感じていました。
ある日、マンションの敷地内で転倒されているところを管理事務所の方が発見していただき自宅まで送っていただきましたが、その後様子確認のため部屋を訪問された際、チャイムが聞こえず、反応できなかった結果、安否確認のために消防署により窓を破損し居室内に入り安否を確認されたという事がありました。
両耳の聴覚をほぼ失っておられ、お一人暮らしでの生活のなかで、連絡や安否確認をどのようにしていくか、とても大きな課題が浮き彫りになった瞬間でした。
毎日訪問することもむずかしく・・・
いろいろ考えた末に一つの方法を提案することにしました。
それはスマートフォン(以下、スマホ)を使ったLINEアプリでのやりとりです。
ただ、これまでYさまは、スマートフォンはおろか、携帯電話すら使用したことがなかったのです。
好き嫌いがはっきりした方なので拒否反応も覚悟してご提案したところ
「すぐに購入しよう!」という前向きなお返事をいただきました。
携帯ショップへの同行、購入、操作に慣れていただくための支援は試行錯誤でした
最初は、LINE起動や文字入力に大変戸惑っていらっしゃいましたが、
一週間で、音声入力を取得され、
三週間で、文字入力を・・・
今では、漢字変換もほぼ完璧に取得され、冗談もLINEで返信できるようになられました。
Yさまの不屈のチャレンジ精神と努力のおかげで、私達との連絡や安否確認、ケアマネージャー様とのやりとり等も問題なくコミュニケーションをとる環境を構築できました。
すぐに諦めてしまい、スマホを解約したいと仰るのではないか、と不安に思っていた私ですが、Yさまのチャレンジ精神に励まされこのような環境が整えられました。
私達、支援員の仕事は、「会員さまの抱える課題や目標に向かって、会員様と一緒にどのように最良の答えをみつけることができるのか」なのではと感じています。
会員様と一緒に課題を乗り越えた時の喜びは絶大で、ほっこりしてしまう
そんな仕事なのだと思っております。
Kさんは93才の女性で、ご自宅で1人暮らしをしています。
歩行など多少の介助が必要ですが、ほとんどのことをご自分で行えます。
93才とは思えない程、記憶力も判断力も健在で、私が憧れる女性の1人です。
ある日Kさんから公正証書遺言の変更をしたいと話がありました。
Kさんにはご家族はおらず、ご自分の財産は友人の息子であるA氏に渡したいというご意向があり、
すでに公正証書遺言を残していました。
変更したい部分は、自宅マンションをそのままA氏に相続させる点と、祭祀継承者としてA氏を指定している点。
これらがA氏に負担をかけてしまうのではないかと心配になったということでした。
自宅マンションは遺言執行者である司法書士が売却し、現金化したうえで相続させること、祭祀継承者
についての項目は削除するという変更を行いました。
私も証人となり公証役場に立ち会い、無事に新しい公正証書遺言を作成することができました。
その後えにしの会と、葬儀と納骨の追加契約を行ない、Kさんの死後の全てをえにしの会が
お手伝いさせていただくことになりました。
亡くなった際に連絡して欲しいご友人の確認や、ご自宅の家財処分の見積と費用のお預かりも
既に済ませてありますので、これでKさんの終活が一区切りついたことになります。
全ての手続きが終わった時にKさんは「これでいつでも死ねるわ」と笑顔で話されました。
Kさんはいつも穏やかで、不安や不満といった心の内を語らない方でしたので、この時に見せてくれた
心底ほっとしたような笑顔がとても印象的でした。
Kさんのお役に立つことができてとても嬉しかったです。
終活は終えましたが、これからもKさんへの支援は続きます。
今後も健やかに過ごしていけるようサポートができる存在でありたいと思っています。
日々会員様の様々な支援をさせていただいておりますが、日頃のやりとりの中で信頼いただけた事を実感した事例です。
O様は90代の男性で白内障の手術で入院しました。
退院後の受診時に患部の状況から即日の入院が必要との診断がされ、翌日に入居されている施設から車で1時間半の距離にある大学病院に再度入院されました。
日頃から受診のお手伝いをさせていただいておりましたが、O様は言葉も少なく受診での長い往復の時間は私からのお声掛けが殆どでした。
お食事はご本人の嚥下状況を鑑み施設へも確認しお好みのサンドイッチ等を車中で召し上がっていただきました。食事の度に「美味しいね~」と嬉しそうに召し上がっていただいておりました。
入院中お体の状況にも変化があり入院期間は想定より長く1カ月半程になってしまいましたが通院する事を前提に無事退院されました。
ところが戻られてから数日後、施設からO様が服薬を拒否されているとの連絡がありました。
翌々日別件でお会いする約束をしていた為、その時に時間をかけ本人のお考えをしっかりお聞きし私の考え・思いをお伝えした所「今日からまたやってみる」との事で、ご自身でも納得しその日はお戻りになりました。
翌日施設の方に伺うと「拒否なく服薬されていましたよ、すごいですね」との言葉をいただきました。
ご家族のいないO様にとって、僅かではありますが家族代わりになれたかな、と思えた瞬間でした。
知識や経験を積み、会員様のお考えやそのご家族のお考えを踏まえどういう行動がベストか、日頃からのサポートがいかに大切か、支援員として改めて考えさせていただく機会になりました。
F様の支援をさせていただいたきっかけは、入院中の病院様からのご相談でした。
F様は末期の癌を患っており、弊会にご入会していただいた段階で余命幾許もない状況でした。F様は責任感のとても強い方で、自分が亡くなった後の事をとても心配されており、
『賃貸アパートの解約は誰がするのか』『葬儀はどうするのか』『死後の手続きは』『大家さんへの連絡』『NHKの解約は』など、周りの方に迷惑をかけたくないと強く希望されていました。
その中でも特に気にされていたのは、遠方に住む妹様の事でした。何十年も会っておらず、疎遠になっていたようですが、亡くなる直前まで妹様の事を気にかけており、F様にとってかけがえのない存在で心の拠り所になっていたのだと思います。
F様がご心配されていた点に関しては、私たちが家族代わりとなり、責任を持って対応しますとお伝えし、F様は安心して天国へ旅立たれました。
F様ご逝去後、葬儀は弊会で喪主を務め、賃貸解約やライフラインの停止、関係各所へ連絡等、死後手続きをF様の生前のご意向に沿って行いました。
また、協力弁護士の支援で妹様と連絡が取れたことにより、無事にF様の遺産を引き継ぐことができました。妹様もF様をご心配されていたようで、お二人の想いを繋ぐことができて私共も嬉しく思いました。
今後も、皆様に寄り添った支援に努めて参ります。法務局における自筆証書遺言書保管制度をご存じですか?
令和2年7月10日から自筆の遺言書を法務局で保管してもらえる制度が始まりました。この制度が始まるきっかけとしては、遺言書が自宅で保管されるケースが多くあります。
その問題点として、
・ 遺言書が紛失・亡失するおそれがある。
・ 相続人により遺言書の廃棄,隠匿,改ざんが行われるおそれがある。
・ これらの問題により相続をめぐる紛争が生じるおそれがある。
上記を受けて、
えにしの会の会員様には、将来的にご自身の亡き後を考え、ご自身の財産をご自身の意志に基づき有効に執行されるように遺言書の作成し公的機関に保管してもらう方法をおすすめしています。
先日、えにしの会の会員様が遺言書を作成され、法務局に預ける為に同行させていただきました。無事に手続きを済まされた会員様の表情はとても安堵したご様子でした。
遺言書はいつでも更新できます。
様々な環境や気持ちの変化で更新される方もいらっしゃいます。
会員様がご自身の意思をしっかりと形に遺しておくことは、とても大切な事であると実感しております。
えにしの会では、引き続き、会員様が安心していただける支援をしていきます。
A様の支援をさせて頂いたきっかけは施設様からの紹介でした。
自宅でお過ごしでしたが、年齢とともに自立生活が難しくなり介護施設へと入所されていました。
A様には身寄りの方がおらず、キーパーソンと呼べる人物がいないまま施設での生活を送られていましたが、今後のことを踏まえ弊会をご紹介頂きました。
当初、A様は身元保証人である私達の存在を中々受け入れることが出来ず信頼関係を築くのが大変困難な状況でありました。
施設様のご尽力もありながら、定期的な様子伺いをするうちに少しずつ打ち解けて頂くことが出来ました。
そんな中、A様が高熱を出され病院へ緊急搬送されました。弊会も緊急駆付けし入院の手続きを行いました。
幸いにも容態は安定し2週間ほどで退院の運びとなりました。
その緊急駆付け以後、私達が様子伺いで訪問する度に、笑顔で私達を迎え入れてくださり「また来てね」と笑顔で送り出してくださいます。
今では施設様にも「A様が1番信頼されているのはえにしさんですね」と仰って頂けるようになりました。
今後も会員様と信頼関係を築いていけるよう努めてまいります。支援を行う上で一番大切なのが会員様との信頼関係をつくることだと思っております。
そんな思いをさせていただいたのがY様です。
担当させて頂いたころは、中々心を開いていただけず、伺うと怒ったように話をされ
支援が終わるとすぐに帰ってくれと言う感じでした。
ある時、机の上に督促状がたくさんあるのを見てしまい怒られるのを覚悟で、見る許可を得ようと聞いてみると意外とすんなり了解していただけました。
中身を見てみると、固定資産税、所得税、保険料等々の督促状で、金額も結構な金額が支払をされていないようでした。
Y様は、ずっとお一人で足も悪く誰にも相談が出来ず困っていたようで、ちょうど私が見つけたのを幸いにすんなりと見る許可を出したようです。
そこで一括でのお支払いが難しい為、2人でその税金の支払計画を何度も話し合い、税務署まで一緒に同行し、時には専門家の方々から助言を頂きながらすべて完済することが出来きました。
今では、このコロナ禍で中々会うことが出来ないでいると「どうしてますか?会いに来てほしい」等と電話がかかってきます。
何事も会員様の気持ちに寄り添い、親身になって考えることが会員様の信頼を得ることに繋がるのだと思い今後も支援していきたいと思います今回、台風10号の接近に伴い、台風の進路や勢力も過去に類を見ない様な状況で、甚大な被害の予測が連日報道されておりました。
普段の台風接近とは違い、私たちでも不安を抱く様な状況でした。
会員様も同様で、施設にお住いであればある程度の安全は確保されておりますが、ご自宅にお一人で生活をされている場合は特に心細い思いをされているのではないかと考え、台風通過前と通過後にお電話にて現況確認をさせて頂きました。
F様(81歳 女性)マンションでお一人暮らし。
現在も移動は車を運転され、弓道やパソコンが趣味という若々しい会員の方で、勿論自立した生活を送られております。
マンションだし、しっかりされているので、お電話は必要ないかと思いつつお電話すると、“マンションだから大丈夫よ!準備はできているから!”と想定内のお返事でした。
しかしその後に“こうやって気に掛けてくれると心強いわ!嬉しい!誰も掛けてくれないから”とのご返答あり。
通過後は、“心配だったけど、被害もなくて安心しました。またお電話頂戴ね”
とのご返答あり。
H様(男性 73歳)戸建てにお一人暮らし。
人見知りで寡黙な方で、身寄りが無い訳ではないものの、ご自分のお考えで距離を置かれている状況。
脊柱管狭窄症を患われているものの、ある程度自立した生活を送られています。
お電話すると、“庭の物はある程度片付けが済み、あとは実際に台風が来てみないとわかりませんな。”とこちらも想定内の素っ気ない返事でした。
しかし最後に“わざわざお電話してもらって、ご心配有難う御座います。”との
ご返答あり。
通過後には“被害がなくて良かったです。近くに来られたら寄って下さい。”と軽い口調でご返答あり。
今回お電話してお声掛けした言葉は、本当に“何気ない言葉”でしたが、返ってきた言葉をお聞きすると、どんなに自立してしっかりされていても、根底には“心細さ”や“不安”を抱かれているのだと感じました。
特にお一人暮らしであれば、社会から孤立しやすく、孤独感も感じやすい環境ではないでしょうか。
私たちが普段使っている“何気ない言葉”は、人を不快にさせたり、傷付けたりする反面、安心感を与えたり、勇気付ける事も簡単にできてしまいます。
私たちの掛ける言葉は後者でなければなりませんし、常に相手の立場に立っての言葉選びが重要です。
“何気ない言葉”で、日常生活に少しでも安心の割合が増やせる様に、これからも“家族代わり”“身近な存在”として寄り添っていきたいです。
私たちの仕事の原点は会員様からの「ありがとう」と「笑顔」です。
会員様が自分らしい毎日を送るためにはどうしたらよいか?どのような支援が必要なのか?
スタッフ一同、会員様の立場となり考え会員様の気持ちに寄り添い、自分らしい生活を送っていただけるよう日々支援させていただいています。
その中のお一人、私が定期的に支援させていただいている80代女性H様。
いつもお迎えに伺うと「今日もありがとうね!」「今日もお願いします!」と元気に素敵な笑顔で迎えてくれます。
その笑顔、言葉に励まされながら支援員としての私の一日がスタートします。
白内障を患っておられるので、普段の何気ない日常生活での段差・交配・手すりの位置等にとても臆病になっておられます。
病院に到着すると同時に私の腕に手を絡ませ腕組されるH様、「一緒にいてくれて助かるのよ」
「あなたがいるから何があっても大丈夫だわ」と(恋人同士のように)…言って頂けることに日々感謝しています。
会員様お一人お一人との出会いに意味があり、縁がある…
住み慣れた地域で「その人らしい生活」を叶えるために何でも相談できる生活の頼れる支援員として今後も全力でサポートしていきたいと思います。ご主人と一緒にえにしの会に入会して下さった80代のT様。
お二人は昨年の夏、慣れ親しんだご自宅から茨城県の施設に移り、生活を始めていました。
T様に初めてお会いしたのは、昨秋。
ご主人が救急搬送されたとの一報を受け、
埼玉から遥々60㎞の距離を、車を飛ばして駆け付けた日のことでした。
施設に残されたT様は、不安げな表情を浮かべながらもどこか毅然としており、
ご挨拶とともにご主人の様子、入院手続きの完了を報告すると、
「お世話になります。」
と深く頭を下げておっしゃられたのが印象的でした。
ご主人の余命がそう長くなく、
医師からは後悔しないよう頻繁な面会を提案されていました。
病気の後遺症で半身が思うように動かないT様は、
車椅子を使ってゆっくりと生活をしていらっしゃいます。
近所の病院へ面会に行くとて簡単なことではなく、
その都度駆け付け、車への乗り降りをお手伝いしながら病院へお連れしました。
ご主人は入院した日からずっと眠ったままでした
「お父さん! お父さん!!」
T様が一生懸命呼び掛けるも応答はありません。
それでも諦めず呼び掛けるT様。
私も一緒になって声をかけ続け、少し反応があった時には二人で顔を見合わせて泣いていました。
いよいよあと数日と告知を受け、T様は毎日の面会を切望されていました。
しかしどうしても都合がつかず、
また金銭面でも厳しい選択であり迷いましたが、
介護タクシーを手配しT様だけで2日連続での面会が叶いました。
面会翌日にご主人は帰らぬ人となり、
結果としてこの面会が最後の夫婦水入らずの時となりました。
葬儀社の手配、火葬、死後事務手続き、えにしの会の墓地へのご納骨、遺族年金の申請等
その都度確認し寄り添いながらお手伝い致しました。
また、T様が喪失感からか塞ぎこんでしまった時には、
一緒に食事がしたい、買い物がしたい、とのご要望にお付き合いし、
「今日は久しぶりに楽しかった。ありがとう」とのお言葉を頂戴しました。
帰り道にご主人ののろけ話などを嬉々として話して下さり、
しまいには泣き出してしまい、私ももらい泣き。
その時車窓からはきれいな夕焼け、富士山が見えて二人で感動しました。
この春にT様が骨折をしてしまった際にも駆け付け、
長期入院になるため施設を解約し、お体の状態にあった新しい施設を提案致しました。
施設から病院、別の病院、そして今度はT様にとって初めての土地となる埼玉県。
ストレスになりはしないかと心配しておりましたが、
一人で過ごされていた時と比べて多床室(4人部屋)での暮らしは寂しさが和らぐようです。
金銭的にも、一時は生活保護の申請を検討したほどでしたが、
引越しで毎月の収支は黒字となり、着々と貯金ができています。
何より、表情の明るくなったT様にお会いする度に、
お引越しは大成功だったのではないか…と達成感を感じます。
「あの時、気が済むまでお父さんに会いに行って、本当に良かった!」
T様は今でも会うたびにそうおっしゃいます。
一人になってしまった寂しさや不安に寄り添いつつ、
少しでも前向きに生きられるよう、
これからも親身になって考えていきたいと思います。