A様の支援をさせて頂いたきっかけは施設様からの紹介でした。 施設ご入所中のA様は御年97歳、お子様がなく、身寄りは他府県にお住まいの姪御様のみ。   普段はお元気にお過ごしではありますが、時折入院されることがありその度に姪御様が他府県からお越し頂くことにA様自身が申し訳なく思っていると、施設様からご相談頂きました。   お話を頂き、施設様・A様・姪御様含めた話し合いで弊会の身元保証を含めた支援のお話をさせて頂きました。その際、姪御様としては他人様にお願いするのは叔母様に対して申し訳が立たないと感じておられる様子でした。   我々の支援は姪御様とA様を切り離すものではなく、A様にとっても、姪御様にとっても助力となるような支援を目指していることをお伝えし、何度か話し合いを持った結果ご契約を頂けました。   現在ではA様と姪御様のご意向をお伺いしながら、つぶさにA様のご様子を姪御様にご報告し、緊急時は我々が初動に当たり姪御様にご報告すると言う関係を構築しA様にも、姪御様にも「えにしの会に入ってよかった」と仰って頂けるようになりました。   えにしの会の支援がご本人様、ご家族様にとっても良いものになるよう今後も支援を行って参ります今回は、入会後6年経たれる90代のT様のお話をさせて頂きます。 T様は昨年の初めに70年連れ添ったご主人を亡くされました。 ご主人の入院の際、病状悪化の際、危篤の際、通夜・葬儀・火葬の際、納骨の際、見守りながらサポートさせて頂きました。T様は気丈に対応され、T様の涙を拝見したのは、通夜の夜、施設の居室へお送りした時だけでした。 その後も、役所や銀行や相続等、煩雑な事務手続きの際も、90代のT様の理解度に合わせ、都度確認しながらサポートさせて頂きました。   T様は未だに、その時のお礼をお会いする度におっしゃいます。 そして私も「いえいえ、なかなか至りません。本日も宜しくお願いしますね。」というご挨拶から毎回支援がスタートします(笑)。   さて、本題に入りますが…。 T様に限らず、会員様は支援の際にたくさんのお話を聞かせて下さいます。 故郷の思い出話、現役時代の凄い話、若かりし頃の恋愛の話等々、“自分ヒストリー”を聞かせて下さいます。   T様もよく「ちょっと前にね…」とおっしゃいますが、さすがに90代のT様のちょっと前は、50年位前のお話で…。T様自身も「ちょっと前って言っても、40~50年経つけどね~」と大笑いしながら思い出を話して下さいます。 戦後すぐの頃、GHQが運営していたダンスホールに足繁く通っていた不良娘だった話、そのダンスホールで、ダンスの下手なご主人と出逢い恋をした話などなど、笑いながら懐かしそうに話して下さった事は、大変印象的でした。   T様との関わりの中で、日常生活の不安や不満、ちょっとした愚痴の後には、必ず冗談をおっしゃり、気持ちを切り替えてらっしゃる事に気づきました。 そこで、T様に気持ちの切り替えについて伺ってみました。するとT様は「子供の頃から辛い事が多かったの。だけど笑っていたら嫌な事を忘れたし、主人にも出会えたの。」と笑って教えて下さいました。   まさに、『笑う門には福来たる』実践バージョンをT様に教えて頂きました。 T様は、いつも私の訪問を笑顔とウィットに富んだ冗談で迎えて下さいます。 支援を介し会員様より学ばせて頂く事の多さに日々感謝し、これからも会員様のサポートに努めて参ります。元々は自立の方向けの施設で洗濯や通院などもお一人でされていたN様、持病の影響で足の調子が悪くなり現在は一時的に病院に入院しています。   入院中の病院は売店やATMはなく、必要なものは全て外に出なくてはなりませんが、現在N様は車椅子移動で自分一人での外出は難しくなっています。 そのため月に2回ほど、ティッシュやオムツなどN様の代わりに買いに行き病院までお届けしています。 また、入院中の病院では診ることができない病気もある為、月に一度車椅子を押して近くの別の病院までお連れしています。運の良いことに、その道中に銀行もあるので病院に行くついでに銀行にもお連れしています。   N様は少し心配性で、入院中に郵便物が施設に届かないか不安に思われていたため、施設と協力し郵便物のお届けも行っています。   以前まで一人で出来ていたことが徐々に出来なくなるということに対し不安やもどかしさを感じているN様。 そのようなお気持ちの中、支援の後に少し笑った様子で「ありがとう、自分一人ではできないから助かった」との声を頂くこともあり、私も少し安心した気持ちになります。   今後もN様の不安が少しでも解消されるよう、引き続きN様に寄り添った支援を続けていきたいと思います。  施設からのご紹介で入会いただいたM様ご夫婦、最初にお会いしたのは施設と 病院(入院中)でお二人別々の生活を送られている時でした。   今後奥様は退院されても今の施設での生活は難しいとの判断で、施設担当者、ケアマネージャー、えにしの会とご本人を交えて話し合いが行われました。会議中にいろんな意見が飛び交う中で、奥様ご本人より   「最後は主人と二人で暮らしたいです」と   正直な気持ちを聞かせていただき胸が詰まる思いがしました。   お気持ちを聞かせていただいてからは、みんなで連携を取りながら本格的な 施設探しの支援が始まりました。   奥様には新しい施設が見つかるまでは、介護老人保健施設でリハビリをしながら待っていただく事となりました。その間、別々の施設で過ごされ、とても不安な思いをされたと思います。   その後、運よく今年オープンしたばかりの施設に夫婦部屋の空きがある事を確認して、やっと奥様の念願でもあった“二人暮らし“に向けて動き出しました。   その後はとんとん拍子に事が運び、転居に向けての準備や変更の手続きの打ち合わせを終え早速引越しする事となり、それに伴う諸契約、住所や各種保険変更手続き、買い物等の支援をさせて頂きました。   ひと通りの支援を終え最後にご挨拶をすると、奥様から「本当にありがとう」と言葉をかけていただき、信頼関係を築けたのではないかと思っています。   支援をさせていただいた中で一番うれしい瞬間でした。   M様ご夫婦は、現在も施設で穏やかに生活されています。これも関わって頂いた方々の協力あっての事だとも思いますし、今後の支援も関係する皆さんと 連携を取りながら支援を行っていきたいと思います。  施設に入居されているA様は月に一回の外出支援をご利用頂いています。 初めての月は、小説がお好きという事で、本屋に行きました。 数ある本の中から大学の先生が執筆された本を選ばれて「この先生はねー・・・」と食事をしながらいろいろ教えて下さいます。 食事の後には、スーパー出買い物。 「おしゃぶり昆布と飴を買って本を読みながら食べるのよ。」と。 別の月には、歴史博物館の様な所へ。昔の家の再現や古い道具に 「これは昔おばあちゃんの家にあった。」 「これに水をためて顔を洗うのよ」等懐かしんでおられました。 別の月には、動物がお好きと聞いていたのでふれあい公園へ。 ヤギやウサギに餌をあげたり、牛舎の横を通るときはその匂いに顔を歪めたりと表情も豊かです。 月に一回の外出支援ですが、次はどこへお連れしたら喜んでいただけるかしらと。 喜んでくださる姿を想像するのも今では支援員としてとてもやりがいを感じる事です。 支援の終わりには、「いつもありがとう。気を付けて帰ってね。またお願いね。」の言葉に充実感を感じます。 これからも会員様が楽しく過ごしていただけるようこれからも支援させて頂きます。「俺、何もわからない、わからないよ」 初めて、ごあいさつをさせて頂いた時に不安な表情で繰り返し言われた言葉です。   妹様遠方のため、施設入居にあたり緊急時の駆け付けが出来ないとの思いで 妹様からの入会の申し込みがありました。   妹様、施設担当者、ケアマネージャー同席のもと病院内で契約させていただきました。   病院の紹介状受け取り・施設面談の同席・引越し・住所変更届・受診とすぐに支援がはじまりました。   最初の支援の時「わからない、わからないんだよ」と不安げな表情が見られていましたが、急な発熱での受診依頼、皮膚の爛れでの受診依頼が続き、その都度支援に伺うと「来てくれたの」「悪いね」と不安な表情は消え、「帰り遅くなっちゃうね大丈夫?」と気遣いをしてくださったり、笑顔で冗談を言われ自分のこれまでの生活歴を話してくださる様になりました。   入会されてから2か月が過ぎた頃、帯状疱疹が悪化し入院することになり入院準備で施設に戻り必要なものを持ちご本人様がおられる病室に戻ると、よほど不安だったようで「良かった、一人じゃなくて…」と涙を流され、私も「大丈夫、大丈夫です」と背中をさすり一緒に泣いてしまいました。えにしの会に入会し安心された場面です。   今は定期受診の支援だけではなく、外出同行支援も増え「次に来る日はカレンダーに書いておいてよ」と楽しみにして下さる様になり昔懐かしの場所にもご一緒させて頂いております。いつも通りの朝 いつも通りの通院 いつも通りの穏やかな日 A様のご自宅から病院までは、徒歩5分の道のり その往復、話をしながらゆっくり歩くのが通院日の楽しみです。 映画や食べ物の話、健康情報、若い頃の思い出や最近の出来事まで、 時々笑い過ぎて立ち止まるほど色々な話をしながら歩きます。 その日も同じように笑い合いながら病院から戻りリビングでお茶を飲んでいました。 すると話の最中にA様のお顔からすーっと血の気が引いてゆき急にだるそうなご様子になりました。 原因が分からないながらも急いで足を上げてそのままソファーで横になっていただきました。 その際、意識ははっきりしていたので救急車ではなく A様が契約している訪問看護ステーションに訪問要請をしました。 10分後に看護師が到着し身体状況の確認をする頃には 体調や気分はほぼ回復し大事には至りませんでしたでしたが 「体調の変化は突然起きる」ということを身をもって痛感しました。 そして、お一人暮らしのA様がまた急に体調が悪くなったらと不安を感じ 体調不良時の対策を立てる提案をさせていただきました。 もしもの時の不安材料を消してゆく作戦です。 現在、A様とともにA様に関わる訪問看護やリハビリの事業所と連携して ご本人の生活環境や生活リズムに合う支援方法を試行錯誤しています。 安心と穏やかな暮らしは切り離せないもの。 皆様の穏やかな暮らしを支えるため、えにしの会は連携プレーでがんばります!        会員様でご自宅を処分され、介護施設に入所された方の 支援をお話させていただきます。 住み慣れた環境を離れ、ひとりで介護施設に入所されるということは、 ご本人様にとってはとても大変な事であり、不安もあります。 ご家族に代わって入所の契約、入所当日の立合いなどお手伝いさせていただきました。 入所に伴い、用意しなければいけない衣類や備品など購入の代行をさせていただきました。 入居されてからも、病院への定期通院や買い物、散髪など会員様に 同行させていただきながら、信頼関係を築きました。 また、会員様の生活面の不安などは、ご家族に代わって施設のスタッフさんにお話して 情報を共有し、会員様にとって安心して生活できる環境づくりの一助として 支援させていただいております。 ある日に、会員様に同行させていただいている時に、会員様から 「頼りにしてるからね!これからも宜しく」という言葉をいただき、 本当に身が引き締まる思いとともに これからも会員様をサポートすることの責任を感じました。 質の高い支援が提供できるように努力していきたいと実感した日でした。 これからも、ご家族に代わって寄り添う支援をさせていただます。
 
 お母様は80代の方、息子様60代(H様)、親子二人で生活されていましたが、H様の病状悪化、お母様も持病がおありだった事もあり、昨年秋に緊急入院をされました。  お母様を第一に考えるあまり、ご自身の事を後回しにされていたH様は、余命がそう長くないと告げられる程の病状でした。  そんなご自身の状態を受け止められ、今後の事を案じ、お母様と共にえにしの会に入会いただく事となりました。  H様はお母様の生活を最前に考えておられ、お母様の施設探しを先行して欲しいと希望。お二人のご意向を確認しながら、MSWのご協力のもと、施設探し、見学の付添い、施設が決まると入居の付添いや手続き等支援させていただきました。  その後もご自宅の退去手続きや家財処分、住所変更やご親族への連絡等々、ご意向を確認しながら対応。他、お母様のお元気な様子をその都度ご報告する事で、H様も安心され、時折見せる笑顔に私も元気づけられていたものです。また帰り際には、「運転には十分気をつけて下さいね」とお気遣いいただく等、優しいお人柄にも癒されておりました。  色々な事が進む中、H様の容態が徐々に悪化。声かけに反応も乏しくなり、先月下旬、  60代半ばという若さで天国に召されてしまいました。  夜間に息を引き取られ、かけつけは、えにしの会で対応。翌朝には湯灌、エンゼルケアと看護師の皆様が丁寧に対応して下さっており、お母様を病院へとお連れしました。病室には心休まる音楽も流れており、 病院の温かいご配慮に、悲しみの中にも感謝の気持ちでいっぱいになったのを覚えています。  ご親族の方々とも連絡がとれ、遠方ながらも夕方には葬儀場へ駆けつけて下さいました。  翌朝、施設にお母様をお迎えに行き、火葬、拾骨と付き添わせていただきました。  長時間であった為、お母様の体調にお変わりが無いか気を配っておりましたが、お母様の悲しみは計り知れなく、泣き崩れる場面が幾度とありました。  ご親族の気遣いやお声かけもあり、ご高齢ながらも最後までしっかりとH様をお見送りされた姿には、胸を強く打たれるものがありました。  ただただそっと寄り添う事しか出来ませんでしたが、お母様に付添い、先日納骨も無事に終える事ができました。  今後もH様の代わりとなり、関係者の方々と連携を図りながら、お母様が安心して心穏やかにお過ごしいただけるよう、色々な面でサポートできればと思っております。  H様も天国で穏やかに過ごされますようお祈り致します。