「えっ、私は先祖代々のお墓には入れないの?」 そんな会員様のお声をお聞きすることがあります。 私達がサポートをしていく中で、会員様のご逝去のその後についてお伺いすることが度々ございます。 会員様ご自身が最後に入る場所のお話の中で、先祖代々のお墓をご指定くださるケースが多くありますが、それが叶わない事があるのです。 お墓の管理継承者がいない時なのです。 お墓の管理をされている、菩提寺や霊園、市町村などに問い合わせてはみますが、やはり断られる事がほとんどです。 その事実がわかった時、お墓を仕舞わなければならない事をお伝えする役割を担うこともあります。 寂しい表情をされる事が多いので、お伝えする私達もなんだか申し訳ない気持ちになります。 しかし、その事を受け止めてくださり、先祖代々のお墓を仕舞い、ご自身の入る場所をしっかりとお決めになられると、不思議とスッキリのした表情になられます。 これまでなんとなく気掛かりだったことの一つに、目処が立ったからなのかもしれません。 色々な事情を抱えて、これまで過ごされてきた会員様の心から少しでも重荷を下ろしてもらえのでしょうか。 そんな大事な部分のお手伝いができることを誇りに感じる毎日です。お母様と親子二人でご入会され、施設で暮らされていたT様。お母様がご逝去され、T様は施設を出て自宅へ戻り生活を続けることになりました。 はじめは「身内も無く自分1人の生活だし、施設も出たのでもうえにしの会を辞めようと思っている」と話されていたT様ですが、ご退去の支援やお預かり品の返却など、今まで以上に関わる機会が増える中で、えにしの会を必要と感じていただけるようになりました。 ご自宅へ戻る数日前、えにしの会でお預かりしていた品々を受け取るため来所されたT様。お母様の大切にされていたコレクション品や思い出等をお話され、その日はご帰宅されました。 それから1週間後。無事に施設退去も済んだT様よりお電話をいただきました。 「引越にあたってえにしの会には大変お世話になりました。一度はえにしの会を辞めようと思いましたが、母の件で大変良くしていただき、また、自身の病気のこともあり、やはり不安がこみ上げてきました。 よければこれからも、えにしの会にお世話になりたいのですがよろしいでしょうか?」 聞けば、ご自身の病気に関係し入院や施設への再入所の可能性が浮上してきたとのこと。 「もちろん、これからもサポートさせて下さい」 T様は、安心した様子で電話を切られました。 死は誰にでも平等にやってきます。そして、遺されたご家族はその後の生活が続きます。 お元気な間も、大切な家族が亡くなった後も、関わる方の生活に寄り添える支援をこれからも心掛けていきます。
白内障の治療介護施設に入居されている会員のS様。  
白内障であるS様は、普段より支援でお会いする際に「施設の中じゃあまり気にならなかったけど、
見慣れない外の景色を見ると全体が白くボヤっとしている感じがして困ったよ。」と仰っていました。

過ごし慣れた施設での生活では気が付かない悩みが見つかり、施設職員と主治医、本人と
白内障について今後どのような関わりをしていくか面談をしました。 
その中でS様が「前みたいにハッキリ目が見える様になったらなあ」と仰っていた為、
眼科に通院し白内障を手術受ける事になりました。  
手術後、支援のためにS様にお会いすると「本当に良く見える様になった。とても嬉しいよ」と
笑みを浮かべて仰っていました。
  
家族代わりの手伝い、安心できる暮らしをサポートする“えにしの会“ですが、生活支援の中では
今回のようなサポートもさせていただいています。
お一人お一人、持っている悩みは違います。
えにしの会では、その人に寄り添ったサポートを行い、安心できる暮らしを今後もお手伝いさせて
いただきます。
 Kさんご夫妻は、施設へご入居されるにあたり身元保証人をつけるために当会に2年前にご契約されました。 以前骨折された時の後遺症があるKさんを、奥様がいつも献身的にサポートされ、当会が生活支援のご相談を頂くことはほとんどありませんでした。 ところが、今年の春、奥様がご体調を崩されて救急搬送されたとの連絡が入り、当会が駆けつけ対応を行いそのまま緊急入院。 その後、懸命な治療も虚しく奥様は1週間後に急逝されてしまいました。 お耳が遠くお電話をかけることが難しいKさんに代わり、ご親族様、ご関係者様、ご夫婦で信仰されている教会等へ連絡およびご葬儀の手配と準備のお手伝いをさせて頂き、無事に奥様のご葬儀をさせて頂きました。   Kさんのこれからのご生活のことをご担当のケアマネジャー、看護師、ヘルパー、そして施設の方と話し合い、情報共有と連携をしながらKさんが以前と変わらない穏やかな生活をお送り頂けるよう支援をさせて頂く中、次第に元気が戻り、お好きな本を読みたいご意欲もでて、少しほっとしています。   Kさんにお会いしに伺いますと、必ず奥様のお話をしてくださるので、きっと奥様もKさんを近くで見守ってくださっていますねと申し上げると、少し涙ぐまれ、 「歩行器がないと大変だけど、これからもがんばらないといけないから、来てくれるのはとても助かってますよ」とのお言葉を頂きました。   大切な方とお別れする気持ちは、言葉では表わせないと思います。 これからも、Kさんの心に寄り添い、各関係の方々と連携をとりながら、安心を感じていただける支援を心がけてまいりたいと思います。 
入社して一年、色々な方の支援に携わらせて頂いています。

今改めて思う事は十人十色とは良く言ったもので、全く同じ人はおらず接し方も
同じではダメだと言う事です。

毎月定期的な連絡をお求めになられる方もおられれば、何かあった際に
連絡するからと仰られる方もおられます。

私達えにしの会のスタッフに求められるものは「会員様の為にとって何が良いのか」
これを考えることに尽きるのだと思います。

会員様の事を考え同じ時間を過ごすうち、思いがけない内に秘めた思いを
明かして下さるときもございます。

そんな時は「信用して下さったんだ」と感じ、今まで以上に会員様の為に
何が出来るのかを考えようと思いを新たにします。

これから先もきっと色々な方と接する機会を頂けると思います。

その時間を通じ「この人に側に居て貰えて良かった」と思って頂けるようこれからも
会員様との時間を過ごさせて頂ければと思います。
 70代の気さくで明るく楽しい話が大好きなG様。 同じく70代の笑顔が素敵な心優しいK様。 お二人ともえにしの会の会員様であり、二人の自宅が近いこと、デイサービスが同じことは把握しておりました。 何度と支援に入らせてもらう中、実は以前より交際をしている、今度入籍をするとG様より打ち明けていただき、本当に嬉しい気持ちになったことを昨日のことのように覚えています。 お二人とも病気があり二人だけの生活は難しいとのことで訪問看護やヘルパー等の力も借り、当会の支援も変わらず入るようにしています。 愛おしそうに奥様を名前で呼ぶお父さん、お父さんが居てくれて本当に良かったと安心されているお母さん、いつも笑顔のお二人に関わることができ幸せのお裾分けをしてもらっています。 これからもお二人の支援に入らせて頂きます。お変わりない生活ができますよう少しでもお手伝いができればと思っております。80代のA様のお話しです。 ご主人に先立たれ、病気と闘いながら生活するA様に初めてお会いしたのは入院中の病院でした。 子供もおらず、今後の生活が不安…そんな中でえにしの会に入会されました。 退院先はご自宅ではなく、老人ホームへの入居でした。A様も「もう自宅での生活は難しいね、寂しいけど」と仰っていたのが記憶に残っています。 老人ホームに移られてからは、外出同行支援(買い物、外食、銀行、市役所付添い)などをさせていただきました。施設ではコロナやインフルエンザによる外出制限も厳しい中、A様の気分転換になるならと許可をいただきA様もとても喜ばれていましたし、今後も目標として「杖歩行ができるようになりたい」との一心で歩行リハビリも頑張られていました。 そんな中ご自宅を売却したいとのお話しがA様よりありました。 「私の頭がしっかりしているうちに、自宅の問題をスッキリさせたい」 「どうせ自宅へ帰るつもりは無いからね」 「今後の為にまとまったお金を作っておきたい」 そんなご要望から、自宅売却のお手伝いをすることに。   不動産会社をいくつかお探しし、A様と一緒に不動産会社へ赴いたり、自宅にてお話しを聞く日々が続き……右往左往しながら、A様の希望に寄り添った対応をしてくださる不動産会社を見つけることができました。 自宅売却の話もスムーズに進み、自宅にて荷物を整理している時でした。 A様から「この家は主人が建ててくれてね。何十年もながいこと生活したねぇ。」 「猫や犬も飼って、、それは楽しかったよ」 と以前自宅に住んでいた時のお話をしてくださいました。あまり自分から昔のことを話さないA様ですが、この時は昔の写真を見ながら目を輝かせ、昔を懐かしまれていたことが印象に残っています。そんな素敵な話を私にしてくださり、私自身も嬉しい気持ちに。 それと同時に、それ程大切な思い出が詰まっている“自宅“を売却するということ、それに携わらせていただいているということ、私がサポートさせていただいている仕事の責任感・重要性を改めて感じることができました。   その後、売買契約の締結・決済・引き渡しを無事に終え、トラブルも無く自宅を売却することができました。 A様からは「これで肩の荷が下りて楽になった。ありがとうございました。今後もよろしくね」と大変ありがたいお言葉をいただきました。   家族代わりの手伝い、安心できる暮らしをサポートする“えにしの会“ですが、生活支援の中では今回のようなサポートもさせていただいています。   お一人お一人、持っている悩みは違うと思います。えにしの会では、その人に寄り添ったサポートを行い、安心できる暮らしを今後もお手伝いさせていただきます。H様(女性 享年76歳) 市営団地にお一人住まいで、結婚歴なし。 親族は居るものの、高齢で近年は疎遠になっている。 しかも末期がんを患われており、余命も3ヶ月から半年という状況。 地域包括支援センター経由で相談を受け、本人様とご自宅にて面談を実施。 団地の5階に住まれ、この頃はご自分で自立した生活を送られており、 大きな病気を抱えておられる様には見えませんでした。 面談時、かなり疑心暗鬼で対応されている様子が伺えましたが、詳細をお聞きするうちに、お気持ちを理解する事かできました。 “最期を託す人”という位置づけを考えると、疑心暗鬼になる事も当然で、残された時間を考えると尚更であったと思います。 幾度かのお電話や面談を経て、ご契約を結ばせて頂く事になりました。 契約の翌日に病院受診に同行し、主治医をはじめ、担当看護師、ソーシャルワーカーの方々ともご挨拶をさせていただきました。 この時の情報では、余命も1ヶ月単位もしくは1週間単位で診てもいい状態であるとお聞きしました。 既にホスピス(緩和ケア)を設けている医療機関への入院を調整されており、この入院に際して、保証人、身元引受人が必要となり、本人様を含め周囲の方々も気が気ではなかった様です。 ようやく話が進み始め、受け入れ先も決まったところで本人様が体調を崩れ、入院される事になりました。 そこから数日後にホスピスへ転院し、丁度1週間後にお亡くなりになられました。 契約をしてから3週間ほどの期間で、目まぐるしく状態が変わられ、瞬く間の出来事でした。 事前の打合せをしっかりさせていただけていた事で、ご遺体の引取りからご自宅の整理等々までスムーズに終える事ができました。 生前に“亡くなられた弟様のお墓に納骨して欲しい”とのご要望がありましたが、“おおまかな地名”と“風景”“墓石に名前が入っている”とういうキーワードしかお聞きできていませんでした。 転院された当日に再度本人様確認を行い、現地に向かいました。 複数の墓地を巡りましたが、最終的にお墓を確認する事ができました。 後にお墓を管理されている義妹様とも連絡が取れ、幸いご遺骨も無事お引渡しすることができ、本人様のご希望通りの結果となりました。 その際に、実のお兄様ご夫婦等も同席され、これまでの経緯をご説明させていただきました。 元々気の強い方で、人に頼る事を安易にされない性格でもあったとの事。 その事を踏まえ“本人らしいですね”と皆様仰られ、“自分たちも近くに居ても何もしてあげられなかった”と悔やんでおられましたが、“自分たちの代わりに、面倒を見てくれる人が居た事がせめてもの救いでした”との感謝のお言葉も頂戴いたしました。 この言葉をお聞きした時に、えにしの会が関わった事に意義があったのかなと感じた瞬間でした。 こういったお声をいただく事にやりがいを感じますし、誠実に対応する事の 大切さを再確認した事例となりました。  私が入社して間もなく、担当させて頂いた会員様のお話をさせて頂きます。 末期のがんを患っていたA様。豪快な性格で多くは語りませんが優しい性格で九州男児を体現したような方でした。 A様からは事前の聞き取りで、頼れる親族はおらず、ご子息・ご息女様がいらっしゃったのですが、折り合いが悪く、万が一の際の事を考え、死後の事を全て任せたいと当会へ入会をされました。 生活支援の回数はあまりありませんでしたが、ご自宅に訪問した際は、将棋が好きで、よく将棋を指してらっしゃった姿が今でも目に浮かびます。 当会に入会後、地域のケアマネージャー、訪問看護、ヘルパー等、様々な方々と連携を取り、出来る限りのケアをさせて頂きましたが、A様は入会から約4カ月後、息を引き取られました。 A様のご生前の御意向通り、ご子息・ご息女様へA様がご逝去されたこと、葬儀と納骨の日程をお伝えしました。 直葬での葬儀を行う際、当会のみで行うつもりで火葬場へ向かうと、現地には、ご子息・ご息女様だけでなくA様のお姉様もいらっしゃいました。 皆様、それぞれ涙を流しながら最後のお別れを惜しまれていました。 その姿に、言葉では言い表しにくいのですが、心の底の部分での、家族の絆を垣間見た気がします。 この件があってから、当会の会員様と接するときは、「もっと会員様に対して出来ることはないのか?」、「この選択は会員様に対しベストな選択なのか?」を考え、家族の代わりとして日々の支援をさせて頂く、私の考えの基盤となったエピソードでした。  M様は愛車(バイク)をフェリーに積んで幾度となく訪れてはこの場所でのひと時を謳歌されていたそうです。 70歳になったら移住して資格(調理師免許)を活かし「こども食堂」を営むことが夢だったとも話されていました。 しかしそれを目前に指定難病であるALSに罹患、日に日に身体が思うようにならなくなる中でも「あの場所に帰りたい」という思いはどうしても諦め切れなかった。 転出転入の準備はえにしの会の2事業所が連携を取りながら進めて行きました。 受け入れ先の施設がなかなか決まらず投げやりな気持ちにになった時もありました。 それでも希望を捨てず、空港の到着口に着いた時「帰って来ることが出来た」と涙ぐんでいらっしゃった姿がこの場所への思いの強さを感じました。 移住してからの生活を楽しめたとは言えません。 行きたいところにも思うように行けなかった、食べたいものも食べれなかった。 それでも温かい地元の支援者に恵まれ、数カ月の間にも自分の思いをしっかりと託され「これで思い残すことはない」と話されていました。   沖縄では青い海の彼方にあると言われる「ニライカナイ」 M様はそこに向かって旅立ちました。   今、M様の思いを形にすべく市の協力を得て基金の立ち上げ準備が進んでいます。 子供たちの食を支える基金です。   「来世では必ず沖縄県民に生まれ変わる!!」 その願いはきっと叶うような気がします。 いつの日かM様似の食堂のにぃにぃ(お兄さん)に会えるかもしれません。   短い期間の間でもM様との関りから沢山の事を学び成長させて頂きました。 M様の思いが沖縄の子供たちに伝わることを心から願っています。